STEP7 危険にさらされた関係性の再受講体験 その1
2005年 8月

1 先祖との関係
2 親との関係
おまけ 家事

1先祖との関係

 先祖との関係というよりは 先祖から代々受け継いでいるもののうち 今の私のあらゆる関係性の中で ストレスを感じているものは 何か? というのが出たように思う。
 
 今回家族とか他色々な関係の中に身を置くとき「わずらわしい」と感じている事が出た。
 
 わずらわしい・反感 と 感じているが、
 
 その向こうにある 望んでいる状態は なんと
 
 気安い、近づける・受け入れる だ。
 
 父系からの遺伝要因が結構あるようだ。
 
 原因は 受胎2ヶ月。否定した構造機能は 自動的回避(顎の噛み合わせをみる)
 
 おなかの中2ヶ月で 顎なんてまだそんな出来上がっていない時期だけれど
 
 自分がYESなのかNOなのか、選択権をうばわれた、と思ったのかもしれないね、と
 
 インストラクターのTさんが 説明してくれた。なるほど〜。
 
 その受胎二ヶ月で何があったのかはわからないけれど、人とのつながりが起ころうと
 
 する時、わずらわしい、と感じる事はある。そのわずらわしさは、私がこうしたいとか
 
 あぁしたいとか、いう思いなどお構いなしに、一方的に推し進められてしまうような事に
 
 なったらいやだぁという気持がわく。
 
 関係性って色々あるので、そういう風に、否応なしに、一方的に、仕切られて決められ
 
 てしまうような事ばっかりではないのだが、根っこの部分に、こうなったらどうしようと
 
 いう、形の見えない「や〜な感じ」というのはずっと味わってきた。
 
 わずらわしい、と思っていると、相手の言うことなすことがじぶんを苛めてくるように
 
 みえてくる。(潜在意識レベルでは 苛められた責められた・敵意)
 
 そしてとどのつまりは どうしたらいいんだぁ!?と分からなくなり 固まってしまう。
 
 (体レベルでは くぎづけになった・麻痺)
 
 ☆
 
 じゃあ、どういうのを求めているのか?と見ていくと、人との関係は気安く、近づける感
 
 じで、お互いに受け入れあっていくような関係性をきずけること。そうやってつきあって
 
 行く時、心の中ではどんどんたまらなく嬉しい感じがするし、喜びに満ちていく。そして
 
 色んなことが調和していくの。相手と私はぴったり合っている。私のやることなすことが
 
 調和をうみだして、ぴったりあっているなぁ、ていう現象が生まれる・・・・こんな感じね。
 
 
 修正は 眉間に光をあてる。
 
 タオの4番も読んで感じた事は、本当にやりたいのか、本当にそれを選ぶのか、
 
 ちゃんと 意識的に選んで 考えて 進む。
 
 下手するとなんでも簡単に「やらされたモードで、選んでないのに〜」て気持になりがち
 
 なので、ちゃんと じぶんで選んで進むこと。

 

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2 親との関係

 親とは長いつきあい。生まれる前からだから(当たり前!)

 親との関係性で一番感じているのは 拒絶されうばわれた・敵意だ。

 「母親」という役割をしている時の母に対するストレスと、「一人の人間」としての母を見る

 時のストレスが高かった。それと意外に、自分のなかの「父親の役割」のストレスも高か

 った。

 自分のなかの親の役割というのは何かというと、
 自分は親に育てられ養われてきたが、
 自分自身が自分を育て養っていくという面も必要なんですね。
 父とか母というのは、現実面で外の世界に存在しているが、それだけでなく、
 自分の内側にも必要なんですね。内なる父。内なる母。

 さて、この親との関係は 一人の人間としての母について 見ていく事が最優先と出た。

 拒絶され奪われた は 潜在意識なので、体レベルでは何を感じているか? と見て

 みると 淀んだ・麻痺だ。その反対の望んでいる状態は 感受性のある調和同調だ。

 確かにそうだ。

 自分が何かを喜んで これこれってこうなんだって! とか 面白かった事を見せたり

 話したりすると、母は大抵それに乗らないで、淀んだ反応が返ってくる。

 否定した構造機能は 自信。

 インストラクターのTさんの話によれば、小さい子供は自信にみちていて、いつだって

 親は自分を育ててくれるが、自分も親を救ったり手助けしたりできると思っている。

 しかし親は「おまえはまだ小さいんだから、何もできないよ」と言ったりそう扱ったりする。

 すると子供は自信を喪失する。いつだって自分を人々の為に手助けしたいと思っている

 のが子供なんだ。。。って。 それはわかる。

 自分にとって楽しかった話をして、それを聞いて相手も一緒になって面白がったり、

 へえええ〜世の中って捨てたもんじゃないよね、楽しいこともあるよね、て思ってくれたら

 いいなと思うのに、母からかえってくる反応はいつだって疲れきった人の、淀んだ麻痺。

 ☆

 一緒に喜んでくれることをいちいち期待せずに、自分の喜びは自分の喜びとして、感じ

 ていくのがよい。母は母なりの喜びというのがあるんだから、母の事は置いとこう。と

 いうのがわかった。

 セッションが終わった後で

 Tさんの話では 親を「親」という役割で普段見てしまうにしても、ひとりの人間として見る

 ことだってあるわけです。で、最近親を一人の人間として見たのはいつか?腕に聞くよう

 に、と言われました。

 三角筋に聞いてみました。すると先日お盆休みが終わったあたり、母がのびきっていた

 頃。と出ました。(お盆の間じゅう、姪っこ甥っこが滞在していた為、うちの一家は大変で

 した。子守で・・・。)

 その疲れでのびきってた母を見た時、私は母を母ではなく、一人のひととしてみていた、

 と腕は教えてくれました。「そうか、子守でほんまに大変やったんやなぁ…」と感じて見て

 いた。その感覚をちょっと覚えておくのがいいらしい。

おまけ 家事

 その日のクラスが終わって帰る前に「今日一日のストレス」の解放をします。

 その時になってなぜか めらめらと沸いてきた「怒り」。これは何だろう?と思いました。

 バロメーターは 重荷をおわされた・反感 望んでいるのは受け入れることができる。

 ということは何か「受け入れられるもんか〜重荷やで!」と思っていることがあるという事だな。と思った。

 では 何を受け入れられないのだろうか? と思って潜在意識の望んでいる側を見てみた。

 「魅力的な・喜びに満ちた」とあった。それを見た瞬間、私はわかった! あ、これは家事だ!と。

 腕に確認したら その通り、と出た。簡単に修正をして帰ったのだが、帰りみちみち、電車の中で私は本当は

 家事を喜んで魅力を感じながらやっている、というのは事実だと認めた。が同時にそんな事は受け入れられない!

 と、断固として反対する心の葛藤も感じた。この時の内なる葛藤は 自分の中の真実を見つめ認める側と、それは

 わかるのだが、絶対にいやだ!認めたくない!と感じる側との戦いだった。

 認めたくない、という事は 本当は認めるべきことである、という事に他ならない。

 本当に家事に魅力を感じないのであれば 葛藤も何もなしで、ただ単にさらりと「好きではないわ」というだけの事で

 ある。そこに葛藤を感じるというのは、本当は好きなのに、好きだと認めたくない何かがある、ということなのだ。

 だから、葛藤はあるとしても、真実は真実なんだから、認めちゃおうよ、と自分に言ってみた。

 すると認めるとしても、好きなんだけど嫌なんだよ!とあくまでも抵抗する私がいた。「じゃあ抵抗するところも含めて

 受け入れるよ。」と言ったらしぶしぶと、おさまった、という感じ。

 この日の解放はどれもこれも大きなものでしたが、家事が好きなのにきらいだと思ってきたことを認めるのは、私に

 とっては 大変な事であり、有意義なことでした。

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