スリーインワンの
 仕事に前向きに
 なる為の
 セッション
        2006年  9月

腕を押してくれた人:
good eyesの熊谷さん

 
これは名古屋で活躍中の熊谷さんとの交換セッションの
記録です。

システムが変わってからのスリーインワンの方式が、色々面倒な手続きが増えたりして、面倒くさいなと思って。

それがもとで やる気を失い、それと同時にクラス開催の機会が減少(生徒さんが減ったので)してしまったりした事などをテーマに セッションをお願いしました。


 

初めに、システムが変わってから具体的にどういう変化があり、どうのこうのという話を、熊谷さんに聞いて貰いました。

すると熊谷さんにこう言われました。

「ゆりちゃん、3in1でどういう事がしたいのか、というのを明確にした方が、その方向でやりますって、やる気が出るんじゃない?」

それもそうだと思い、考えてみました。

   もっと多くの人々の 幼心の痛み 怒り
                    思い 意欲
                    やりたかったことを 解放するんだ!

私は その人のこどもの心 というものがわかるし、体の声がわかるし、それによってその人の今とつながり、未来がわかる。という所を
はっきりさせていく方が いいね。 
と思いました。

そして きらきらで行う3in1の理念というのは

 1 その人の心の声(本音)を聞き出す

 2 子供の心を取り戻す

 3 体の声を聞く ・・・これらによりその人本来の自分に戻ります。

っていうことをやっていこう、ということを 熊谷さんと話し合いながらまとまりました。

そのうえで、これらのことがもっとできるようにするセッションというのが
行われました。

まず バロメーターは 3−2−1

意識レベルで
求めているのは

受け取れるよ、開いてるよ
っていうような 意欲

意識レベルで
感じてるのは

点火したような怒り

潜在意識レベルで
求めているのは

確信していて、
やる気があるって感じ

潜在意識レベルで
感じてるのは

不満な 感じの
失う恐怖

体の細胞レベルで
求めているのは

静かなくつろいだ感じの
ひとつであるような感覚
 

体の細胞レベルで
感じている事は

好かれていないという分離感

そして 筋肉が教えてくれたことは 「好かれていない!」って思っていた子供の頃の自分の心を もっと受け止める必要があるよって 事。

つまり どういうふうな 「好かれていない」感じだったのかを探ることが解放の鍵で
あるという事なのね。

そして バロメーターが告げる私のストレスと意欲の感覚は、「静かなくつろいだ・
ひとつである」という言葉を 受け取れていないと出た。

つまり、私は「静かなくつろいだ・ひとつである」なんて感覚は 絶対に感じた事がないし、それを感じることなどありえない!と思っていたのだな。
求めているくせに、それが手に入ることなど決してありえない!と感じていたのだ。
まるっきり 意欲を失っていたのだ。

それで やった修正は 「 I am not / I am 」

まず「私は静かじゃないし、くつろいでいない」と言いながら目を動かす。

次に「私は静かで、くつろいでいます」と言いながら目を動かす。

そうして「静かでくつろいだ」感覚を 受け入れることができるようにした。

*

幼年期の原因の年令は 4才。

幼稚園の時「好かれていない」と感じた。

同じクラスに やさしいなぁ、と感じる人がいなかったような気がする。
きつい人がいたなぁって感じがする。

それで その時期 家の外の人々っていうのは

人々=きつい=私は好かれていない

という図式が出来上がってしまったのだ。

そうして外の世界を断ち切り、自分の可能性を断ち切り、バロメーターの左側(求めているもの、希望など)を断ち切ってきたのだ。

その4才の時に断ち切った世界と4才以後の私が生きてきた世界の対比を
表にしてみよう。

4歳の時に切断したもの 4歳以後の私が生きてきた世界
外の世界を 切った

可能性を 断ち切った

バロメーターの左側
(求めているもの 希望など)

内側の世界を 生きてきた

不可能の世界 制限のある世界

バロメーターの右側
(ガチョ〜ンと落ち込む ドツボ)

  ずっと洞穴の中にいるような気分

それは安心感があった

なぜならばもっと母の胎内にいたかったのだけど、早く出てきてしまったという気持があった。

しかし、本当のところ、内なるものだけが世界ではないし。外の世界だけが世界ではない。内なる世界と外なる世界の両方があってこそ、本当の世界なのだ。

どちらか一方だけでは 成り立たないのだ。

その両方を統合させる必要がある・・・と熊谷さんとふたりで話し合いながら思った。

その時、ふっと こんなイメージがわいてきた。

それは 私の前世なのかもしれないし、先祖の経験なのかもしれないし、私の潜在意識が見せたまぼろしなのかもしれない。

本当のところは 誰もわからないのだが、ここに記しておく。

*

私は 洞穴の中に 隠れて生きていた。

私は 人々や世間がわずらわしくって たまらないと思い、洞穴に身を隠していた。

(世の中 = うるさい → 隠れよう) という図式

そうして瞑想三昧をしていた。学者さんというか、僧だったみたい。

*

イメージがそこまで出た段階で はた、と 気づき、自分で自分に言ってみた。

    それは わかった。そういう感覚はよくわかる。

    でも今もそれじゃ困る訳でしょ。

     「オーラの泉」で美輪明宏さんもよく言っていらっしゃる

    「里の行」というのが必要なんじゃないのかな?

それで イメージを続けた。

*

私は 洞穴の中で勉強をしつくし、瞑想三昧をしつくし、

人が生きるのは 現世のみあらず、とか、どんな階層で生きて暮らしていようと

人は人として生きる苦しみがあり、生きる喜びがあるので、

基本的に 人は皆平等なんだ ということなどの 宇宙的しくみがわかった。

わかった時、すっくと立ち上がり、歩き出した。洞穴の出入り口まで歩いていった。

眩しい。

その時人々の声が聞こえた。多くの人が洞穴の外にいた。

私が洞穴から出て来るのを待っていた。

彼らは、私が勉強をしつくし、そしていつか出てきて、人々の為にその勉学を生かして

くれるだろう日をずっと待っていたのだ。

私は驚いた。私が洞穴に身を隠す前、俗世界にいた頃、彼らは私を変人だと言い、

ささやきあっていたと思っていた。しかし、見てごらん、こんなに多くの人々が私が

あらわれるのを待っていた。

貧しい人々から裕福な人々や、王族の人々もいる。そして彼らはただ待っていてくれ

たのだ。

そして 私は手を広げ、世界を自分に受け入れ、胸を開いた。

多くの人々の拍手と歓声の中、私はこれからは自分の為だけでなく、多くの人々の為

にもなる、勉学をしていこう。自分が得てきた知識は 使われてこそ花となるのだ。

*

そのお坊さんのイメージは そのまんま、今の私につながる。

スリーインワンで勉強してきたことが 自分のみでなく、人々の為に使われてこそ、

花となる。実となる。もっとやっていこう、と思った。

2006年10月記

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